97年8月17日勿来川にて ルアーはポップR(フックにフェザーなし)
バスフィールドへと変俵を遂げていた宮城県加瀬沼
私が中学生までの時代は、加瀬沼は周辺のルアー少年にとって、『雷魚の聖地(聖池?)』と言っても過言ではないフィールドでした。
初めて雷魚を釣ったのもここでした。
塩釜ジャスコで買った変なメーカーのルアー釣りセット。
そのクローズドフェイスリール付きのロッドで、ヘドンのメドウマウスをぶん投げる、なんともアンバランスなタックルで楽しく雷魚を釣ろうと頑張っていました。
そう、80年代までは加瀬沼といえば『ヘラ』と『雷魚』の釣り場だったのです。
宮城を離れ上京し、数年が過ぎ、90年代になり、生活も落ち着き、私自身の釣り熱が復活してきた頃になると、お盆と正月の帰省の時は、ルアーロッド1本とソルトとバスに併用出来るルアーを持って実家へ帰るようになりました。
1997年のお盆休みにも、関東で覚えた釣りを、故郷のフィールドで試すべく、ロッド持参で帰って来ました。
目的地は加瀬沼です。
故郷を離れて10年余り、『雷魚の聖地』であった加瀬沼は、私の知らぬ間にバスフィールドに姿を変えていたのです。
いったいいつからバスが入ったのか。
バス釣りがしたい人達の闇放流から始まったのか定かではありませんが、おそらく80年代の終わりから90年代初頭の頃に入ったのでしょうね。
お盆休みの人の多さにやる気が萎える
97年8月17日、十数年ぶりに加瀬沼に釣りに来た。家のママチャリで。
当時はまだ公園は無かったような気がします。
堤防を登っていくと、懐かしの水面が見えました。
雷魚を釣りに来ていた頃の思い出が蘇ってきました。
明け方に到着すると水面に白く霧が立ち込めていて幻想的な風景だった記憶があります。
しかし、私が少年時代だった頃とは違い、堤防のすぐ下に人工的に掘った、プールのような堀が作られていました。
そこには数匹のバスが泳いでいました。
堤防工事の途中だったのかもしれません。
そしてフィールドには沢山の釣り人が…。
釣り人多すぎ状態が苦手な私は、手持ちのルアーの少なさも手伝ってか、少しやる気が萎えてしまいました。(だから多摩川でも、丸子橋をパスしてしまうのです。)
なぜ、だれも勿来川で釣りをしない?
この釣り人の多さに辟易した私は、ここに来る途中に通って来た道のすぐ横を流れる『勿来川』で釣りをしてみたくなったのです。
この川は一応、加瀬沼の水が用水路経由で流れ出る川でもあるので、「水が繋がっていれば必ずバスはいる」の法則が当てはまると思ったのです。
この川は、小学生時代、勿来川と砂押川の合流点あたりで、初めて『モロコ』を釣った思い出の川でした。
その頃と同じならベイトはたっぷりいるはずだ。
周りがアシや雑草に囲まれていて、川辺に出られなかったが、し尿処理場の少し下流の水門の脇が足場が良く、そこから5〜6メートルしかない対岸に向かってポップRを投げてみました。
1、2度小さく動かしてみると、背後からすーっと魚が寄ってきて、ハフッとルアーをクワえた。それはフィッシュイーターっぽくないバイトの仕方でしたが、釣れてきたのが上の写真のカワイイバスです。勿来川で釣った唯一のバス。
2015年正月、18年前にバスが釣れた場所をチェック。生命感ゼロ
2015年の正月に帰省の際、ロッドを持たずに加瀬沼、勿来川、砂押川の上流などを巡ってみた。97年にバスを釣ったポイントも現在どうなっているのか見てみましたが、ほとんど渇水状態で、加瀬沼から少し上流では河川工事の途中。
川の中には人工的なブロックで緩流体が造られていました。
ちょっと、住宅地を流れる人工河川のようで哀しい気がしました。
砂押川は、新幹線車両基地付近では、川が干上がっていました。水のない時と水があり過ぎる時の差が激しい川なのですね。
治水の為と思われる遊水池が出来ていた
砂押川と勿来川の合流点辺りには遊水池が出来ていました。
この遊水池で魚たちは身を隠しているのでしょうか。
バスが釣れた思い出は、ついこの間のことだと思っていましたが、もう随分と昔のことなんだなぁ。
この、冬には枯れ気味の川が夏には命を吹き返している事を臨みます。