第1投目で魚がヒットすることは珍しくないと今では分かっていますが、釣れるはずないと思いながら多摩川ガス橋下で初心者の私が初めてキャストしたスピナーベイトヒットしたものは!!
ダイコー スピードスティックでバス釣りに参戦‼︎
90年代初頭の思い出話です。
世はまさにバスフィッシングブーム。シーバス釣り師だった私も、東京っ子のバス釣り師の友人の誘いに乗って、バスフィッシングに足を踏み入れました。
最初に揃えた竿はスピニングロッドもベイトロッドもダイコーの竿でした。スピニングロッドは名前を忘れてしまいましたが、ベイトロッドの方は、「ダイコー スピードスティック」。
ガイドはハードロイでした。ガイドの種類に優劣がある事すら知りませんでした。
バス釣りに引き入れてくれた友達にこのロッドを見せた時の彼の反応は「おおぉ⁉︎スピードスティックじゃん、懐かしい。」
なんとなく笑顔が見下し感を帯びているじゃないですか。
この竿じゃあかんのか⁉︎
彼等は、その時、紫色のあの竿、スコーピオンを使っていました。
高価なタックルに興味がない私は全く気になりませんでした。
そして初めてこの釣り仲間に連れて行って頂いた「北浦」では結局、ビギナーの私がいちばん釣果を出したのです。ムフフフ。
(長年使い倒した私のスピードスティックのハードロイのガイドには溝ができていました。やっぱり)
第1投目でいきなり40upのラージマウスバスがヒット‼︎
当時の私は、北浦など有名フィールドで釣りをするには、車を所有している友達に誘って頂くしか手が有りませんでした。
電車で行けるフィールドをまだ極めていなかったのです。
しかし、すぐ目の前にバスフィールドがあったのです。
渋さで有名な多摩川が。
ものの本によると確かにバスがいるらしい。
上流は是政辺りから下流は六郷のテトラまで。
それに上流にある奥多摩湖にはビッグバスがいるじゃないですか。(水が繋がっていれば、必ずバスはいる-の法則)と思いました。
ビギナーバスマンの私は雑誌にすぐ洗脳されて、愛車の原付「ライブディオ」を飛ばしました。
狙ったのは有名な丸子橋ではなく、ガス橋のすぐ下流側。
土曜の昼だっただろうか。
ポイントに着くと水位は干潮で、普段は見えないリップラップが陸に出ていて水際から数メートル先に木の杭がならんでいました。(多摩川は丸子の堰までは潮の干満の影響を受けます。現在は堰を解放しているようなので変わったかもしれません。)
杭を見たら血が騒ぐのがバスマンの習性、とばかりにスピナーベイトを杭の向こう側にキャストしてただ巻きを開始しました。
すると、なななんと!
第1投目からヒット‼︎
信じられないような40upのラージマウスバス!
デカイ!
ビギナーの私にはそう感じました。
いるんだ!
多摩川にもブラックバスが‼︎
それからずいぶん通いました、ガス橋。
会社に行く前に早起きして行った事も。
しかしその後、ガス橋で、バスは、泳いでいるのを一度見たきりで再び出会う事はありませんでした。
当時のガス橋下流は手前が金網に入ったゴロ石で、私は、何十個かのルアーを根掛かりでサヨナラしました。
↑護岸改修工事前のガス橋下流側
初チャレンジの第1投での40アップ。あれはなんだったのだろう。
ブラックバスでは厳しいガス橋もその後、私の大好きなシーバスポイントになっていきます。
90年代初頭の思い出話でした。
追記
この記事を最初に書いた頃、現在のように、多摩川でスモールマウスバスが頻繁に釣れるとは思っていませんでした。
90年代、多摩川のブラックバスといえば、多摩川で繁殖したというよりは、闇放流されたであろうラージマウスだったような気がします。
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